| 2004年12月15日 今年の字 |
| 2004年10月17日 オニが笑う |
| 2004年 9月10日 ハマことば |
| 2004年 9月 8日 忘れぬうちに? |
| 2004年 8月19日 夏休み画像日記 |
| 2004年 7月13日 地獄のさたは・・・? |
| 2004年 5月 1日 旬なひと |
| 2004年 4月10日 旬なもの |
| 2004年 3月26日 びっくり・・・・そして感謝 |
| 2004年 2月20日 井桁 麻の葉 金魚に朝顔 |
| 2004年 1月22日 旧暦元旦に |
| 2003年12月31日 血は水よりも・・・・ |
| 2003年 9月 5日 すきな歌・唱歌 |
| 2003年 7月19日 86年前、その頃は? |
| 2003年 5月13日 なんだろな〜 |
| 2003年 3月13日 暗剣殺 |
| 2003年 2月25日 驚いた事、驚かれた事 |
| 2003年 1月14日 平成15年 今年の課題 |
| 2002年10月 7日 どこまで続くぬかるみぞ |
| 2002年 8月31日 箪笥 |
| 2002年 7月 7日 寂しいということ |
| 2002年 5月30日 母のこと |
| 2002年 4月14日 秩父往還 |
| 2002年 3月10日 3月10日に思うこと |
| 2002年 2月15日 救世?受難? |
| 2002年 1月 1日 あけましておめでとう |
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「災」ですと。
オリンピックの興奮も、イチローの快挙も その後の天災につぐ天災、さすがに沈んでしまったか さもありなん あまりといえばあまりな破壊 ぶちのめされた。 そして こんな時に必ず出てくる言葉「優先順位」 考えさせられる 何が優先かは人それぞれ違うだろう が 肝心要のその時に「個」は排除され 「団」にまとめ上げられる。 。 。 話は違うけれど すべてのおばさん達が○○様命ではありませんわ。 そなたはどなた? 趣味嗜好なんて個の最たるもの それをいかにも団になっている如く報道するマスコミは 「卑」
メディアといえば 朝っぱらからテレビ画面にズラッと並んで ペラペラペラペラしゃべっている 文化人だか知識人だか見ると 「嫌」
同じくテレビ画面から垂れ流れる日本語とその発音を聞くと 「汚」
そういう言葉遣いを何のためらいもなく真似する大人 「稚」 いや「痴」だ。 と書けば 痴がましいのはアンタでしょって言わるじゃなぁい 「鬱」 ああ、この国はいったいどうなるのだろう? 「憂」 どうみても明るくない 求む 「美」なるもの 求む 「聡」なるもの 。 。 あ 昨日のニュースで 壊れた校舎の片付けに村に帰った山古志の中学生 インタビューに答えて 「自分たちの力でなんとかしたい、、、この学校を」と言っていた。 「健」だ!
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10月12日、深夜訃報が入る。 来年の新年会はそのお宅ですることになっていたのに 馬の背を歩くが如き人の世、1寸先は闇なのだ。 知らぬが幸いのんきな自分。
そんな時に送られてきた菊の花びら
鬱鬱気分から抜け出るには、食べ物もさることながら やはり着る物もね
諸々の事が一段落した日曜日 久々の晴天、まさに天高く雲一つ無い秋の空 日曜日が晴れたのは何と4週間ぶりとか 家中開け放し、風を通す 大洗濯に、布団干し、三和土を洗って、ついでに網戸も洗う。 大奮闘の一日 夕方近くどこへ行くでもないけれど こんな着物を着てみたくなる その時その時身体が欲するもの着る。 明日のことはわからないぞ、とオニに笑われても 来年、単衣はもっといるなぁ〜とか、 来夏は麻のきものをもう一枚!とか考える。 そしてやっと 明るいきもの、きれいなきもの、柔らかいきものが着たくなってきた。 で ・ ・ 邪魔なんですけどぉぉぉ〜
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家の向いにあった中華そば屋からよく出前をとった。 おじさんが作って、おばさんが出前する。 パパさんと呼ばれていたおじさんは中国の人でちょっととっつきにくかったけれど なにしろおいしい!!この店のメニューにあるものすべておいしかった。 それはともかくとして 私はラウメンが好きだった(笑)が、母はサンマーメンが好きだった。 ところで サンマーメンって知ってます? 家人は知らないんですよ、サンマーメン。 どうもこれは横浜だけのものらしい・・・ ある本を読んでいたらザリガニのことを「エビガニ」というのも横浜だけとか。 うーーん確かにエビガニっていってた。 どこの土地でもそこ特有の言葉とか言い回しがあるけれど 横浜独特の言葉、いわゆるハマことばといわれるものは 江戸以来のもの、(イジンサン・牛鍋屋、舶来など) 開国によって入ってきた外国語(アメリカ、イギリス、フランス、オランダ、中国) これは例を上げればきりが無い。 明治2年(1869)に馬車道通りで初めて売られたとかアイスクリン。 英語のhigh collarがハマ言葉になるとハイカラ。 仏語からパラソル、チャンポン、 蘭語からはマドロス ポルトガル語からのバッテラ、ビイドロ、ラシャ そして 「ドンタク」のように外国の風習からきたものとか。 小学生の私が土曜日の午後など遊んでいると 隣のアパートに住んでいたおばあさんに 「おや、今日は半ドンかい?」なんてよく言われた。 母が生まれ育った本牧には「チャブヤ」なるものがあり、 イジンサンを港からチャブヤへ運ぶ人力車夫は「リキシャマン」。 ひいばあさんは駅をステンションと言ったり、テンシャバとも言ってた。 停車場とステンショがまざってる。 このよううに外国語と日本語を交ぜたり さらに漢字で表してしまったりして・・・日本人の得意技。 「上屋」]
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次から次、これでもかこれでもかとやって来る台風。 今年上陸したもの、9月7日時点ですでに7つ! 今回の台風18号は風速60メートルという驚異の爪跡を各地に残している。 その中を自転車に乗るのは無理でしょう、トラックが横転してるんだから。 ビニール傘も、折たたみ傘もダメね。 用をなさない。 その上ユ〜ラユラ、グラグラグラっと地震まで。 地震はこわい。 何しろいきなり来るから。 大正12年(1923)9月1日におきた関東大震災 横浜の被害は甚大であった。 地震発生直後、市内各所297箇所から火の手があがり その火が風を呼び、次々に延焼、7万棟近くの建物を焼失。 倒壊と焼失で市域の8割が被害を蒙り 幕末開港以来居留地として栄え、
↑は大正初期の馬車道通り、左奥に見えるドームは正金銀行。 この平和な生活も一瞬で 洋風レンガ造りの建築も瓦礫と、焼け野原 そんな中、曾祖父が工事に関わった正金銀行とその息子が建てた川崎銀行がしっかり残っている。
(参考80年目の記憶・関東大震災といま 神奈川県立歴史博物館出版) この時母は13歳であったが、 水を入れた鉄瓶を祖母に持たせられ避難したという。 この記憶がずっと残っていたらしく、非常時の持ち出し荷物はいつも出来ていた。 乾パンや水も・・・ そしてこんな物まで、 母の遺品の中にこれが 80歳を過ぎてから母が自分で作った防災頭巾。 たっぷり綿が入って裏もついてとても良く出来ている。 紐の付け具合、とても上手。 姉や兄には「こんな物被ってどうするの」なんて冷やかされていたけれど 寝室の整理ダンス一番上の引き出しにちゃんと入っていた これを使うようなこわい目に再び会わず逝ってよかった。 そんな用心深い親に似ず、いざという時の準備がしていない私 さすがに心配になってきた。 今晩シャンプーして、明日は水を買って来よう。 あ、 避難するときコイツをどうする
ああ、あのバスケットに入れればいいか!
こんな事していられたのはありがたい事だったわ。 大きな犠牲を払って残してくれた教訓、活かそう>自分。 グラッときたらまず消火。
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うきうきうきと過ごした・・・ 確かにね・・・ だけどこのごろどうも変。 楽しいことをしても哀しい。 うれしさの後に来る哀しみ 楽しさの後感じる哀しみ これはナンナンダ? 。 。 。 七月十三日 地獄の釜の蓋があき 亡くなった人がこの世に帰ってくる 帰るところがなきゃ哀しいだろうなぁ 。 。
ここよ!ここ!ここ!! 道に迷わぬようにグルグル回る派手な回り灯篭 盆のしつらえは ミークンの定席箪笥の上 私は仏教徒ではないけれど お彼岸とかお盆、そして墓参りは でも グレネコはそれがわからない
退屈男かはたまた左膳か・・・今に感電するよ |
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昭和37年5月 当時高校生だった私は 歌舞伎座3階席に学校の制服、おさげ髪という姿で座っていた。 初めての歌舞伎座、しかも一人で・・・ どうしても観たかった 十一代目市川團十郎襲名披露公演
特に歌舞伎好きな女の子だったわけでもない私 いつどこで何を観てこの方に惹かれたのか記憶にない
高校生の私に芸の良し悪しうんぬんが判ろう筈もなく 実際の舞台を観たわけでもない せいぜいテレビか新聞か雑誌の類で観ただけなのに 何故これほどまでに魅せられてしまったのだろう。
昭和30年代、世はまさに高度成長真っ直中 相も変わらずアメリカナイズ一直線そしてビートルズ時代へ突入 そんな中、同年代で私みたいなのは変人。 考えてみれば孤独だった。
「年譜をとりだしてみるまでもなく、その日時を私は覚えているが 昭和40年11月10日午後5時23分、 十一世 市川團十郎は赤坂の山王病院で、56歳の生涯を閉じた」 利根川 裕 「十一世 市川團十郎」より
私は序章一節を読んだだけでくじけ 長い長い間この本の先を読むことが出来なかった。
60年間空位であった「市川團十郎」という歌舞伎界の大名跡 それを襲名して3年半。 わずか3年半であの方は逝ってしまわれた。 孤高な方でありました。
あの日から39年 平成16年5月1日は 十一代目市川海老蔵襲名披露公演初日だった。 口上の舞台には 十二代目團十郎さんと新海老蔵さんがが並んで。。。 大向こうから「成田屋!」 私はというと、ドライアイに涙 幕が上がる前からもう涙涙涙。 折角の厚化粧もグシャグシャ。
時間が経っても、月日が過ぎても あの方のことを想うと今尚愛惜の念は深く、切ない想いに胸はつぶれる。 けれど 今日のこの舞台を観れば ああ、年月が経つということは凄い事なのだなぁ〜と思わずにはいられない。
あの方が亡くなった時、十二代目はまだ19才であった。 歌舞伎のこと、それを取り巻く世界のことなど何も知らない私でも 19才で父親を失うということが何を意味するか 遺児を取り巻く環境がその後どう変化するのか、 想像するに難くなかった。
以後 長い間歌舞伎から遠ざかっていた私 今回の襲名披露を観て 十二代目團十郎さんの偉大さに触れたような気がした。 そして お祖父さんに似ている似ていると騒がれる中 父を尊敬していると言い切る新海老蔵さんもいい。 私の時代と違って、一人で観に来ている若い娘さんが多いのもいい。
先の長い襲名興行、無事につつがなく務められるよう心から願う。
追記 この日の装いは
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待ってたわ、大好き筍。 大鍋に糠を入れて皮ごとゆでる。 沸騰するとガス台が汚れるけれどかまわない。 茹でる前に何枚か剥いておいた筍の皮 包丁でうぶ毛を丁寧に何回もこそいで 中に梅干を入れ三味線の撥のような形に折り畳む そうして出来た三角のかどっこをチュウチュウ。 今こんなものを食べる子供はいない? 筍は和洋中、いづれの食材に使っても美味しいけれど この時期はやっぱりこれ
旬な物はおいしい!
後はお新香があればもう他のおかずはいらない ああ、贅沢! これが贅沢というものだわ。
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・ 「お宅の晩ご飯」っていう番組。知ってる? いきなりテレビカメラとヨネスケさんが家にズカズカと入って来て 勝手に流しやら冷蔵庫の中やらにカメラを向けたり 今晩のおかずは何?って・・・・ 我家にあれがきたらどーしよう! あれは本当に突然やってくるのだろうか? だったら困るわ。
平成16年3月25日 同じ突然でもこれはびっくり 今日外出から戻りPC開けたら 300336番だった。 ホームページ開設以来3年7ヶ月 大勢の方が「うきうき」に来て下さったんですねぇ! うれしいようなぁ、こわいようなぁ、 ちょっと戸惑っている、というのが本音。 着物は 特に強いこだわりを持って着ているわけではないけれど 着たいと思う自分の気持を素直に受け入れて着られるようになった。 無意識のうちに罹っていた「こうあらねばならぬ病」や 諸々の呪縛から解き放たれた感がある。 かといって「なんでもいい病」「自由病」には罹りたくない。
これからは もう少し心してサイト運営をしてゆかねばならぬかと思うものの 何分にも煩悩多き身 だめだろうなぁぁ〜〜また暴言、暴挙、、、あなおそろしやおそろしや。 今までと変わらぬ着物あそびを続けられれば幸せ。 とにもかくにも感謝の気持をと慌てて雑感を更新した次第。 「うきうききもの」玄関からお入り下さったみなさま(早くもヒンシュク発言) ありがとうございます。 ・ ・ 今しばらくこのサイトの運営を続けてゆく所存。 よろしくお願い申します。
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先日最寄の私鉄電車に乗っていたら ある駅から乗って来た若いきれいな女性 座席に座るなりストッキングを履きだした しかも身体を折り曲げてストッキングをつま先に持っていくのではなく 脚の方をグット持ち上げて座席にかかとをのせ、 ゆうゆうと大腿部まで引き上げる そしてもう片一方も 大抵の事には驚かない昨今だけれど たまげた
私も目薬さしちゃった。。。。。
どれくらい前になるだろうか 同じく車中 あるものを見つけ、目が釘付けになった事があった。 え!この絵!? まさか!どうして? 懐かしかった。 麻の葉の着物を着た少女 よく見ればある予備校の車内吊り広告! この女の子 !!?? 私の頭の片隅にずーと残っていた着物姿の女の子だ。 昔、その子はいろいろな着物を着ていた。 時にはお嫁さん姿、時には舞妓さん。 時には前垂れをかけたり、ねんねこ半てんを着ていたり 姉さん人形と遊んでいたり、 この子がうらやましかった。 あんな着物を着てみたかった。 「きいち」のぬりえの女の子 あまたある「ぬりえ」の中で 蔦谷 喜一さんが描いていた「きいち」のぬりえ この絵が大好きだった。
昭和30年代後半、ぬりえブームが去ると共に 「きいち」の名前も何時とはなしに忘れ去られていった。 が 時は移っても 「きいちのぬりえ」にちゃんと目をつけてくれる人がいた。 懐古趣味的な感覚からではなく デザイナーの琴線に触れたそうな。 この方の尽力で昭和50年半ころに再び「きいちブーム」が到来。 現代の若者にもうけたらしい。 以後、 きいちの作品は多くの広告に使われるようになり いろいろなポスターなどで見かけるようになったのね。 どのポスターもみんないいけど 早稲田塾のキャラクターになっている少女と カルピスの広告になっている絵が好き。
でも 知らなかった 資生堂ザ・ギンザホールでぬりえ展があったなんて。 昭和53年かぁ・・・ そのころ、我人生動乱の真っ最中だったものなぁ〜〜〜 知っていたとしても、とても出かけられなかった。 考えてみれば、 好き勝手に出歩けるようになったのは、ここ5,6年。 こんな気ままな生活がづっと続くとは思われないから 今のうちに行っておこう
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とうとう一枚の年賀状も出せずに新年を迎えてしまった私。 なのに ネットで知り合ったある方から早々に賀状を戴いた。 新年の挨拶の後に一言 「お兄さまをお大事になさってくださいませ」と・・・・ ・ ・ ・ あっ! 突然に そう、まさに突然に。 この言葉の意味がわかった。 そして涙が出た。
「ああ、そうなのね」
今まで考え違いをしていたなぁ・・・・
お大事になさってください・・・ それは 見舞うとか、 看病するとか、大事に扱うとか、 そういう事ではなくて その人のことを大事に想って下さい。 ということなのだ。
人の心は関係ない 肝心なのは私の心
ありがとう。
言葉はこころして使わねば と 恥ずかしながら今さらにして思った年のはじめ.。
平成十六年、はたしていかなる年に相成りますか・・・ 平穏無事に過ごせますように。
さて、 うきうき新年会 何があってもこれをしないと一年が始まらない、っとばかりに 一月十日賑々しく派手やかに その上 平凡社「別冊太陽」の取材というお年玉付き。 と言っても例年と何の変わりもない ただ着たいきものを着て勝手にうきうき 浮世の憂さを忘れた一日。 遅ればせながら 本年もどうかよろしくお願い申します。
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