雑感

2004年12月15日  今年の字
2004年10月17日  オニが笑う
2004年 9月10日  ハマことば
2004年 9月 8日  忘れぬうちに?
2004年 8月19日  夏休み画像日記
2004年 7月13日  地獄のさたは・・・?
2004年 5月 1日  旬なひと
2004年 4月10日  旬なもの    
2004年 3月26日  びっくり・・・・そして感謝   
2004年 2月20日  井桁 麻の葉 金魚に朝顔
2004年 1月22日  旧暦元旦に
2003年12月31日  血は水よりも・・・・
2003年 9月 5日  すきな歌・唱歌
2003年 7月19日  86年前、その頃は?
2003年 5月13日  なんだろな〜
2003年 3月13日  暗剣殺 
2003年 2月25日  驚いた事、驚かれた事 
2003年 1月14日  平成15年 今年の課題
2002年10月 7日  どこまで続くぬかるみぞ
2002年 8月31日  箪笥
2002年 7月 7日  寂しいということ
2002年 5月30日  母のこと
2002年 4月14日  秩父往還
2002年 3月10日  3月10日に思うこと
2002年 2月15日  救世?受難?
2002年 1月 1日  あけましておめでとう

 

 

今年一年を表す漢字

「災」ですと。

 

オリンピックの興奮も、イチローの快挙も

その後の天災につぐ天災、さすがに沈んでしまったか

さもありなん

あまりといえばあまりな破壊

ぶちのめされた。

そして

こんな時に必ず出てくる言葉「優先順位」

考えさせられる

何が優先かは人それぞれ違うだろう

肝心要のその時に「個」は排除され

「団」にまとめ上げられる。

話は違うけれど

すべてのおばさん達が○○様命ではありませんわ。

そなたはどなた?

趣味嗜好なんて個の最たるもの

それをいかにも団になっている如く報道するマスコミは

「卑」

 

メディアといえば

朝っぱらからテレビ画面にズラッと並んで

ペラペラペラペラしゃべっている

文化人だか知識人だか見ると

「嫌」

 

同じくテレビ画面から垂れ流れる日本語とその発音を聞くと

「汚」

 

そういう言葉遣いを何のためらいもなく真似する大人

「稚」

いや「痴」だ。

と書けば

痴がましいのはアンタでしょって言わるじゃなぁい

「鬱」

ああ、この国はいったいどうなるのだろう?

「憂」

どうみても明るくない

求む

「美」なるもの

求む

「聡」なるもの

昨日のニュースで

壊れた校舎の片付けに村に帰った山古志の中学生

インタビューに答えて

「自分たちの力でなんとかしたい、、、この学校を」と言っていた。

「健」だ!

 

 

うきうき玄関へ

 

暑さがやっと収まった今日この頃、早くも来年のカレンダー

ガス屋さんから貰う。

成人の日が10日、正月休み明け早々に連休。

とすると新年会は8日あたりがいいかしら?

2月は

11日(金)が建国記念日だから

うちの場合10日11日と連休かぁ、などなど

カレンダーを見ていると遊ぶことばかり頭に浮かぶ

 

10月12日、深夜訃報が入る。

来年の新年会はそのお宅ですることになっていたのに

馬の背を歩くが如き人の世、1寸先は闇なのだ。

知らぬが幸いのんきな自分。

 

そんな時に送られてきた菊の花びら

そう、去年もアップした。

茹でて食べる食用菊。モッテノホカだっけ?

お米と一緒に野菜も入っていた。

台風の影響でこちらでは高値の野菜、ありがたや。

キャベツの千切りをたーーくさん入れたお好み焼きを作ろうか。

おっとその前に元気になるには

名古屋風味噌ソースに

カキフライとブタの黄金焼き、ウインナーをのせたスパに挑戦。

いろいろな味が混ざっておいしい。

 

 

 

毎月岩手からお米を送ってもらう

その時に野菜など包んである新聞紙を見るのが楽しみ

「岩手めんこいテレビ」、ちょっと見たい気がする。

こちらは岩手大学で日本文化を学ぶ留学生

琴のコンサート

きものも姿勢も様になってる!

鬱鬱気分から抜け出るには、食べ物もさることながら

やはり着る物もね

着るものってその時の気分が出ますね

ここ数ヶ月

お会いする方とか出かける場などの事情もあって

地味というか普通というか、まともというか・・・

そういうきものを着る事が多かった

このテのきものを着るのは

ラクですね!

キラクですね。

気負わないですむし。

でもそれは

ラクだけれど楽しくない。

キラクだけれどうきうきしない。

 

昔着物は

着るのにチカラがいるけど

着ると楽しい!

気合もいるけど

着るとうきうきする

諸々の事が一段落した日曜日

久々の晴天、まさに天高く雲一つ無い秋の空

日曜日が晴れたのは何と4週間ぶりとか

家中開け放し、風を通す

大洗濯に、布団干し、三和土を洗って、ついでに網戸も洗う。

大奮闘の一日

夕方近くどこへ行くでもないけれど

こんな着物を着てみたくなるただ着ただけ・・・

その時その時身体が欲するもの着る。

明日のことはわからないぞ、とオニに笑われても

来年、単衣はもっといるなぁ〜とか、

来夏は麻のきものをもう一枚!とか考える。

そしてやっと

明るいきもの、きれいなきもの、柔らかいきものが着たくなってきた。

邪魔なんですけどぉぉぉ〜

   

 

うきうき玄関へ

子供のころ

家の向いにあった中華そば屋からよく出前をとった。

おじさんが作って、おばさんが出前する。

パパさんと呼ばれていたおじさんは中国の人でちょっととっつきにくかったけれど

なにしろおいしい!!この店のメニューにあるものすべておいしかった。

それはともかくとして

私はラウメンが好きだった(笑)が、母はサンマーメンが好きだった。

ところで

サンマーメンって知ってます?

家人は知らないんですよ、サンマーメン。

どうもこれは横浜だけのものらしい・・・

ある本を読んでいたらザリガニのことを「エビガニ」というのも横浜だけとか。

うーーん確かにエビガニっていってた。

どこの土地でもそこ特有の言葉とか言い回しがあるけれど

横浜独特の言葉、いわゆるハマことばといわれるものは

江戸以来のもの、(イジンサン・牛鍋屋、舶来など)

開国によって入ってきた外国語(アメリカ、イギリス、フランス、オランダ、中国)

これは例を上げればきりが無い。

明治2年(1869)に馬車道通りで初めて売られたとかアイスクリン。

英語のhigh collarがハマ言葉になるとハイカラ。

仏語からパラソル、チャンポン、

蘭語からはマドロス

ポルトガル語からのバッテラ、ビイドロ、ラシャ

そして

「ドンタク」のように外国の風習からきたものとか。

小学生の私が土曜日の午後など遊んでいると

隣のアパートに住んでいたおばあさんに

「おや、今日は半ドンかい?」なんてよく言われた。

母が生まれ育った本牧には「チャブヤ」なるものがあり、

イジンサンを港からチャブヤへ運ぶ人力車夫は「リキシャマン」。

ひいばあさんは駅をステンションと言ったり、テンシャバとも言ってた。

停車場とステンショがまざってる。

このよううに外国語と日本語を交ぜたり

さらに漢字で表してしまったりして・・・日本人の得意技。

「上屋」]

さて、これはなんでしょうか?

 

うきうき玄関へ

天災は忘れぬ頃に・・・・

次から次、これでもかこれでもかとやって来る台風。

今年上陸したもの、9月7日時点ですでに7つ!

今回の台風18号は風速60メートルという驚異の爪跡を各地に残している。

その中を自転車に乗るのは無理でしょう、トラックが横転してるんだから。

ビニール傘も、折たたみ傘もダメね。 用をなさない。

その上ユ〜ラユラ、グラグラグラっと地震まで。

地震はこわい。

何しろいきなり来るから。

大正12年(1923)9月1日におきた関東大震災

横浜の被害は甚大であった。

地震発生直後、市内各所297箇所から火の手があがり

その火が風を呼び、次々に延焼、7万棟近くの建物を焼失。

倒壊と焼失で市域の8割が被害を蒙り

幕末開港以来居留地として栄え、

↑は大正初期の馬車道通り、左奥に見えるドームは正金銀行。

この平和な生活も一瞬で

洋風レンガ造りの建築も瓦礫と、焼け野原

そんな中、曾祖父が工事に関わった正金銀行とその息子が建てた川崎銀行がしっかり残っている。

(参考80年目の記憶・関東大震災といま 神奈川県立歴史博物館出版)

この時母は13歳であったが、

水を入れた鉄瓶を祖母に持たせられ避難したという。

この記憶がずっと残っていたらしく、非常時の持ち出し荷物はいつも出来ていた。

乾パンや水も・・・

そしてこんな物まで、

母の遺品の中にこれが何じゃこれ?って思うでしょ?

80歳を過ぎてから母が自分で作った防災頭巾。

たっぷり綿が入って裏もついてとても良く出来ている。

紐の付け具合、とても上手。

姉や兄には「こんな物被ってどうするの」なんて冷やかされていたけれど

寝室の整理ダンス一番上の引き出しにちゃんと入っていた

これを使うようなこわい目に再び会わず逝ってよかった。

そんな用心深い親に似ず、いざという時の準備がしていない私

さすがに心配になってきた。

今晩シャンプーして、明日は水を買って来よう。

あ、

避難するときコイツをどうする

抱くと暴れる非常時にはもっと暴れる

ああ、あのバスケットに入れればいいか!

こんな事していられたのはありがたい事だったわ。

大きな犠牲を払って残してくれた教訓、活かそう>自分。

グラッときたらまず消火。

 

うきうき玄関へ

氷あずき

8月19日 晴 風強し

 

すさまじい暑さ。

寒暖計を外に出してみる

あっという間に42度!

外出しないで家で過ごそう。。。。と思ったが

休みも今日で終り、ちょっと出かけようと

外に出るとあれ、イチゴが枯れそう!

門の外に出しておいたのでうっかり水不足。急いで水やりしたら生き返る。

今日はやけに早く郵便物がそれをうちの中に取り込んで

ああ、それだけで暑くて暑くて、もう少し陽が落ちないとダメだわ。

氷氷氷、氷が食べたい!

まず器に買い置きのあずきを入れその上に氷をかく

その氷の上にアイスクリームをのせる

その又上に氷、あずき、氷を好きなだけ繰り返す(笑)

これで身体がヒンヤリ。

 そうそう、15日に皆で会った時に買った紙入れ

朝顔の柄なので、今月中に使いたい

私史上初の長期休暇も本日まで。

ギャザスカート一枚縫い上げぬままに終わってしまった。

それにしても日々日記を更新してる方って、すごい。

わたしはこんな短期間ですでに2日分くらいは抜けている。

暑い暑い8月も後半2週間をきり

昨日から八ヶ岳の方に行っていた人も無事に帰宅

さて

明日からはまた普通の生活。

普通、平凡が一番。

日々無事にすごせますようにと切に願う今日この頃。

これから信州のお土産を持って93歳になる姑のところに。

台風が怪しい動き、どちらさまもご用心ください。

 

入船

8月17日(火) 曇り〜晴、夜になって雨

 

今日もまだ休み

こんなに休んでいいの、と段々落ち着かなくなる。

なんと貧乏性なことよ。

典型的昔の日本人。

休みを取るということに慣れていない。

夏の間岩手に住んでいる知り合いからすももが届く。

山梨の友からは梨が

今年は暑く晴天続きだったので果物が甘くおいしい。

礼状を投函しに出たついで(?)確認したい事があり港の方まで足をのばす。

赤レンガあたりは案外静か

巨大ハイビジョンテレビが設置され高校野球が映されていた。

せっかくの景観が・・・・

港の入口近く、ある店で飼われているネコ。

専用の椅子がいつも木陰に置いてあり

行き交う人がなでてゆく。

車道に飛び出すわけでなく、歩道でのんびりゆったり毛づくろい

うちのネコに見習わせたい。

オレのこと?

オリンピックアテネ大会

あれよあれよという間に進んでいく

明と暗。

勝者と敗者。

家族も大変。

それにしても暑かった、ショウウインドウにうつった我顔はまっかっか!

本日着物画像なし。

そのかわりKinkoさんのところでこんなアップが

Kinkoのやぁ!やぁ!やぁ! 

 

本日の外出

8月15日(日)・雨のち曇

 

明け方バケツをひっくりかえしたような雨の音で目覚め

あっれーーどっしゃぶりぃ〜?

雨戸を開けたらヒヤッとした空気が・・・気温は昨日より10度も低いとか

こんな涼しさは何日ぶりかしら。楽だ楽だ。

あ、オリンピックはどうなった?

TVをつけると、あら不思議画面がはっきりと見えるじゃない!

ここ数ヶ月映りが悪くてチラチラワシャワシャ画面だったの。

アンテナがおかしいらしいがほっておいた。

それがいきなり直ってる、どーして?

夜中の篠つくような雨で直ったの!?

そういえば前にも強風の後TVの具合が良くなったことあり・・・??

男子体操好調な出だし。

でも今日はのんびり観ていられない。

みそ汁作って塩ジャケ焼いて、厚焼き卵(ダシは入れずに甘いのが好き)に

トンカツ揚げて、あとは勝手にやってちょうだい、留守番の人。

着替え着替え。

おお、冷房を入れず着物が着られた。暑くない。

快適な温度。ありがたい。

外は

まだちょっと雨が・・・で履物は津軽塗にエナメル鼻緒の下駄にする

行ってきま〜す。

今日は宮古上布を着る人多し

帯はちょっと華やかに

初めてお会いしたお三方をいれて七名で楽しくおしゃべり。

この時期はどこへ行くより東京がいい。

特に今日は雨上がりで清々した空気が気持良かった。

だれがちな連休

みなさんのお蔭ですっきりしゃっきりな一日。

ありがとうございました。

Kinkoのやぁ!やぁ!やぁ! さんでもステキにアップ。

 

今日の猫

8月14日(土) 晴

 

今日もまあ感心するほど朝から暑い。

あれ、ネコは?どこ行った?

いたいた、玄関の三和土の隅っこ、ゴルフバッグの後に・・・

呼んでも返事しないくせに、じっとこちらを見ている。

あんまり暑くてご機嫌斜め。

午後からクーラーを入れたら

これですよ

ネコと違って

女は休日でも暑くてもご飯の支度はしなくちゃ・・・

女の完全なる休暇ってないの?

ついあっさりめのおかずは、 大根おろしに釜揚げシラス

夏の大根ってかたくて下ろしにくい・・・食べる時に海苔をちょっともんでかける

賀茂茄子とジャガイモを油で揚げ

それにぬか漬けの胡瓜。

親はこれで充分なのだけれど、

帰って来ているドラは不満らしい。

夕方、ピンポーンと宅急便。

母の従姉妹で87歳の小母さんから帯が送られてきた絽の丸帯。

例の本を見てくださり、

「姑の形見の帯だけれど一回も締めてないと思われるので使っていただければうれしい」との手紙

明治初年、お嫁入りの時に持ってきた帯だろうとのこと。

画像ではわかりにくいけれど

細かい露芝に観世水のような、波のような・・・

どの着物にも合わせやすそうな帯。

ありがたく頂戴する。

さて明日は着物でお出かけ予定有り。

予報は雨ぇ???ほんとに?

でも

真剣に雨が欲しい横浜。

この前降ったのはいつだったろう。

去年の今ごろは毎日雨ばかり

オフ会も雨雨雨、しかも並の雨じゃなかった。

15年8月14日・日比谷土砂降り、まるで雪が降っているよな画像。

15年8月16日・銀座・雨

雨、それはそれで雨具が楽しめる

夏の雨コート新調したしね・・・・

 

今日の着物

8月13日(金)・晴

 

そう、今日は13日の金曜日、おまけに月遅れのお盆。

駅の階段、下駄で滑り落ちないように気をつけなきゃ

本日履きおろしの下駄

この暑いのに海水浴客で賑わう湘南方面へ

さすがに海ではないけれど。。。

江ノ電に久しぶりに乗った。

線路ギリギリに家の玄関などがあり

フォームから直接線路を渡って

甘味処で冷たいご膳しるこを食べる

こんな物好きなことに付き合ってくれたのは

トンボ柄の着物トンボの半襟

あらま、期せずして下駄は二人ともごま竹張りの日光。

出る前に多少の突発事件などあったけれど

怪我もせず無事帰宅。

かくして2日目の休日も終わってしまった。

 

今日の着物

8月12日(木)・晴れ

 

今日から夏休み!

昨夜は一宿二飯の客人有り。

その客人達と家人は朝も早よから出かけて行った。

女将さんはといえば

その連中の朝食やらお弁当やらを作って寝たのが午前3時過ぎ・・・

お蔭で連休初日から大寝坊。

起きてみたら

お膳にのせて置いたタラコとシャケのおにぎり、カツサンドはみんな消えていた。

 

朝顔に水やりして家に入ると高校時代の友から電話。

長話の最中にピンポーーン。

ん?宅急便?

お米かな?

案の定、毎月岩手の農家に頼んでいるお米定期便。

いつもよりダンボールが大きい。

開けて見ると、

きゃっ!うれしい!トマト、ナス、ピーマン

その下からも瑞々しい夏野菜

美味しそう!!

お米そっちのけで、キュウリに味噌をつけて早速ボリボリ。

丸っこい賀茂ナスみたいなのはどうしよう?油で揚げるか、チンするか・・・

あ!スパゲッチィにしよう!

大きなトンガラシもオクラも入れて。

 

さて、明日は着物でお出かけの約束あり。

夏休み日記もどこまで続くかわからないけれど

とりあえず明日はネタができそう。

 

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五月、六月、

うきうきうきと過ごした・・・

確かにね・・・

だけどこのごろどうも変。

楽しいことをしても哀しい。

うれしさの後に来る哀しみ

楽しさの後感じる哀しみ

これはナンナンダ?

七月十三日

地獄の釜の蓋があき

亡くなった人がこの世に帰ってくる

帰るところがなきゃ哀しいだろうなぁ

私は他家へ嫁いだ身だから
うちへ迎えるのは
ちと門違い・・・・なんだけど・・・

なんだけど〜
たまには娘の家でもいいじゃないの

ここよ!ここ!ここ!!

道に迷わぬようにグルグル回る派手な回り灯篭

盆のしつらえは

ミークンの定席箪笥の上  だって、うちには仏壇がない 

私は仏教徒ではないけれど

お彼岸とかお盆、そして墓参りは
宗教と関係なく大切にしたい風習と思っている。

でも

グレネコはそれがわからない

退屈男かはたまた左膳か・・・今に感電するよ

 うきうき玄関へ

 

今から42年前

昭和37年5月

当時高校生だった私は

歌舞伎座3階席に学校の制服、おさげ髪という姿で座っていた。

初めての歌舞伎座、しかも一人で・・・

どうしても観たかった

十一代目市川團十郎襲名披露公演

 

特に歌舞伎好きな女の子だったわけでもない私

いつどこで何を観てこの方に惹かれたのか記憶にない

 

高校生の私に芸の良し悪しうんぬんが判ろう筈もなく

実際の舞台を観たわけでもない

せいぜいテレビか新聞か雑誌の類で観ただけなのに

何故これほどまでに魅せられてしまったのだろう。

 

昭和30年代、世はまさに高度成長真っ直中

相も変わらずアメリカナイズ一直線そしてビートルズ時代へ突入

そんな中、同年代で私みたいなのは変人。

考えてみれば孤独だった。

 

「年譜をとりだしてみるまでもなく、その日時を私は覚えているが

昭和40年11月10日午後5時23分、

十一世 市川團十郎は赤坂の山王病院で、56歳の生涯を閉じた」

利根川 裕 「十一世 市川團十郎」より

 

私は序章一節を読んだだけでくじけ

長い長い間この本の先を読むことが出来なかった。

 

60年間空位であった「市川團十郎」という歌舞伎界の大名跡

それを襲名して3年半。

わずか3年半であの方は逝ってしまわれた。

孤高な方でありました。

 

あの日から39年

平成16年5月1日は

十一代目市川海老蔵襲名披露公演初日だった。

口上の舞台には

十二代目團十郎さんと新海老蔵さんがが並んで。。。

大向こうから「成田屋!」

私はというと、ドライアイに涙

幕が上がる前からもう涙涙涙。

折角の厚化粧もグシャグシャ。

 

時間が経っても、月日が過ぎても

あの方のことを想うと今尚愛惜の念は深く、切ない想いに胸はつぶれる。

けれど

今日のこの舞台を観れば

ああ、年月が経つということは凄い事なのだなぁ〜と思わずにはいられない。

 

あの方が亡くなった時、十二代目はまだ19才であった。

歌舞伎のこと、それを取り巻く世界のことなど何も知らない私でも

19才で父親を失うということが何を意味するか

遺児を取り巻く環境がその後どう変化するのか、

想像するに難くなかった。

 

以後

長い間歌舞伎から遠ざかっていた私

今回の襲名披露を観て

十二代目團十郎さんの偉大さに触れたような気がした。

そして

お祖父さんに似ている似ていると騒がれる中

父を尊敬していると言い切る新海老蔵さんもいい。

私の時代と違って、一人で観に来ている若い娘さんが多いのもいい。

 

先の長い襲名興行、無事につつがなく務められるよう心から願う。

 

追記

この日の装いは

箪笥の中・お気に入りの一枚に

 

 うきうき玄関へ

 

掘り立ての筍が八百屋の店頭に出始めた

待ってたわ、大好き筍。

大鍋に糠を入れて皮ごとゆでる。

沸騰するとガス台が汚れるけれどかまわない。

茹でる前に何枚か剥いておいた筍の皮

包丁でうぶ毛を丁寧に何回もこそいで

中に梅干を入れ三味線の撥のような形に折り畳む

そうして出来た三角のかどっこをチュウチュウ。

今こんなものを食べる子供はいない?

筍は和洋中、いづれの食材に使っても美味しいけれど

この時期はやっぱりこれ

筍ご飯。

旬な物はおいしい!

野セリの胡麻和えと茹でたソラマメを添えて

後はお新香があればもう他のおかずはいらない

ああ、贅沢!

これが贅沢というものだわ。

 

 

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突然心配になる・・・

「お宅の晩ご飯」っていう番組。知ってる?

いきなりテレビカメラとヨネスケさんが家にズカズカと入って来て

勝手に流しやら冷蔵庫の中やらにカメラを向けたり

今晩のおかずは何?って・・・・

我家にあれがきたらどーしよう!

あれは本当に突然やってくるのだろうか?

だったら困るわ。

平成16年3月25日

同じ突然でもこれはびっくり

今日外出から戻りPC開けたら

300336番だった。

ホームページ開設以来3年7ヶ月

大勢の方が「うきうき」に来て下さったんですねぇ!

うれしいようなぁ、こわいようなぁ、

ちょっと戸惑っている、というのが本音。

着物は

特に強いこだわりを持って着ているわけではないけれど

着たいと思う自分の気持を素直に受け入れて着られるようになった。

無意識のうちに罹っていた「こうあらねばならぬ病」や

諸々の呪縛から解き放たれた感がある。

かといって「なんでもいい病」「自由病」には罹りたくない。

 

これからは

もう少し心してサイト運営をしてゆかねばならぬかと思うものの

何分にも煩悩多き身

だめだろうなぁぁ〜〜また暴言、暴挙、、、あなおそろしやおそろしや。

今までと変わらぬ着物あそびを続けられれば幸せ。

とにもかくにも感謝の気持をと慌てて雑感を更新した次第。

「うきうききもの」玄関からお入り下さったみなさま(早くもヒンシュク発言)

ありがとうございます。

こんな私ですが

今しばらくこのサイトの運営を続けてゆく所存。

 よろしくお願い申します。

 

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車中で

先日最寄の私鉄電車に乗っていたら

ある駅から乗って来た若いきれいな女性

座席に座るなりストッキングを履きだした

しかも身体を折り曲げてストッキングをつま先に持っていくのではなく

脚の方をグット持ち上げて座席にかかとをのせ、

ゆうゆうと大腿部まで引き上げる

そしてもう片一方も

大抵の事には驚かない昨今だけれど

たまげた

 

私も目薬さしちゃった。。。。。

 

どれくらい前になるだろうか

同じく車中

あるものを見つけ、目が釘付けになった事があった。

え!この絵!?

まさか!どうして?

懐かしかった。

麻の葉の着物を着た少女

よく見ればある予備校の車内吊り広告!

この女の子

!!??

私の頭の片隅にずーと残っていた着物姿の女の子だ。

昔、その子はいろいろな着物を着ていた。

時にはお嫁さん姿、時には舞妓さん。

時には前垂れをかけたり、ねんねこ半てんを着ていたり

姉さん人形と遊んでいたり、

この子がうらやましかった。

あんな着物を着てみたかった。

「きいち」のぬりえの女の子

あまたある「ぬりえ」の中で

蔦谷 喜一さんが描いていた「きいち」のぬりえ

この絵が大好きだった。

 

ぬりえは昭和20年代から
40年代にかけて流行したそうで

まさに私の子供時代とぴったり一致!

覚えてますとも、「きいちのぬりえ」

他にもたくさんのぬりえは
出回っていたけれど

私は何と言っても「きいち」が好きだった。

私だけでなく、みんなきいちさんのぬりえが
好きだった

だって、他のぬりえはいくらでもあるのに

「きいち」のぬりえはいつも売り切れで

なかなか買えなかったもの。

あちこちの駄菓子屋やおもちゃ屋を
さがしまわったけど
めったに手に入らなかった。

近所の友達とぬりえを持ち寄っては
ちゃぶ台の上で塗って遊んだ。

「きいち」のぬりえを持っている子、
とてもうらやましかったのを今でも
覚えている。

その後
ご多分にもれず、「ジュニアそれいゆ」に
興味が移ってしまったり
もう子供じゃないわ!的感覚で
いつの間にかぬりえから遠ざかって・・・

世間的にも
カラーテレビ時代に突入。
ブラウンカンのヒーローが
そのまま子供達の人気者に。

それでもいつも頭のどこかで

あのぬりえをもう一度見たい

と思っていた。

 

その「きいち」の絵に
今出会えるなんて!

しかも

あんなに欲しかったものが、
50年以上たった今手に入るとは!

買ったぬりえを時々塗ってみる(真中お嫁さん)

この年になってのぬり絵、楽しい。

私が子供の頃は

24色の色鉛筆なんてとんでもない贅沢品。せいぜい6色。

多分クレヨンと交ぜて塗っていたと思う。

クレパスが出てきてからは柔らかい感じは出せても

細部が塗りにくかった

今は絵を塗る道具も豊富。

↑小学館「きいちのぬりえ」「きいちのぬりえBook2」。

「わたしのきいち」には復刻版のようなぬりえと

きせかえが付録についている。

 

 

 

 

←昭和53年に草思社から出版された

「メリーちゃん花子さん きいちのぬりえ」懐かしいきいちさんの絵がたくさん載っている。

この着物にベールというのもきいちの魅力

「きいち」ぬりえに描かれているファッションは

少女のあこがれ

女の子は着物が好きだったし

童話に出てくるお姫様のようなフリルいっぱいのドレスも好き

おままごとも、雛祭りも

それに何といってもお嫁さん

大きくなったら何になるの?と訊かれたら

お嫁さん!って

考えてみると、

今私が着ている着物の原点って

ここにあるの?

 

 

 

 

 

絶対に着られない小さい寸法の着物

←完璧な対丈。

だけど着物ってなんとか着られるものね

こんな井桁もあるけど
やっぱり極小サイズ↓

しかも洗ったら

縮んだ。。。

すごく

縮んだ。

ショック。

キューピーさんや
文化人形も多々登場

 

麻の葉

これも「きいち」の女の子が
よく着ていた

私も麻の葉が好き

だからこんな羽織→

買ってしまう

 もち着るつもりよ。

 

金魚や朝顔も必ず登場

私の夏帯↓→

 

 

昭和30年代後半、ぬりえブームが去ると共に

「きいち」の名前も何時とはなしに忘れ去られていった。

時は移っても

「きいちのぬりえ」にちゃんと目をつけてくれる人がいた。

懐古趣味的な感覚からではなく

デザイナーの琴線に触れたそうな。

この方の尽力で昭和50年半ころに再び「きいちブーム」が到来。

現代の若者にもうけたらしい。

以後、

きいちの作品は多くの広告に使われるようになり

いろいろなポスターなどで見かけるようになったのね。

どのポスターもみんないいけど

早稲田塾のキャラクターになっている少女と

カルピスの広告になっている絵が好き。

 

でも

知らなかった

資生堂ザ・ギンザホールでぬりえ展があったなんて。

昭和53年かぁ・・・

そのころ、我人生動乱の真っ最中だったものなぁ〜〜〜

知っていたとしても、とても出かけられなかった。

考えてみれば、

好き勝手に出歩けるようになったのは、ここ5,6年。

こんな気ままな生活がづっと続くとは思われないから

今のうちに行っておこう

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平成十六年も明けてすでに二十二日。

とうとう一枚の年賀状も出せずに新年を迎えてしまった私。

なのに

ネットで知り合ったある方から早々に賀状を戴いた。

新年の挨拶の後に一言

「お兄さまをお大事になさってくださいませ」と・・・・

あっ!

突然に

そう、まさに突然に。

この言葉の意味がわかった。

そして涙が出た。

 

「ああ、そうなのね」

 

今まで考え違いをしていたなぁ・・・・

 

お大事になさってください・・・

それは

見舞うとか、

看病するとか、大事に扱うとか、

そういう事ではなくて

その人のことを大事に想って下さい。

ということなのだ。

 

人の心は関係ない

肝心なのは私の心

 

ありがとう。

 

言葉はこころして使わねば

恥ずかしながら今さらにして思った年のはじめ.。

 

平成十六年、はたしていかなる年に相成りますか・・・

平穏無事に過ごせますように。

 

さて、

うきうき新年会

何があってもこれをしないと一年が始まらない、っとばかりに

一月十日賑々しく派手やかに

その上

平凡社「別冊太陽」の取材というお年玉付き。

と言っても例年と何の変わりもない

ただ着たいきものを着て勝手にうきうき

浮世の憂さを忘れた一日。

遅ればせながら

本年もどうかよろしくお願い申します。

 

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