プロローグ

「近江八景」は、いうまでもなく、滋賀県の琵琶湖とその周辺の名勝・八ヶ所を讃えた名称である。

もとは中国のしょう湘八景に擬してそう呼んだもので、明応九年(1500)のこととされている。

これと同じように『○○八景』という名前を冠した場所は、日本じゅうのあちこちに存在する。

神奈川県横浜市にも『金沢八景』という地名があり、その名のとおりの景勝の地が、かつてはあった。

あった―と過去形にしたのは、現在はその面影さえ見ることができないからである。

金沢八景は横浜市金沢区の南端に近い、平潟湾付近にあった八つの景勝を、近江八景同様、

しょう湘になぞらえて呼んだものである。

したがって、そういう呼ばれ方をした時期はおそらく近江八景が選ばれた直後かと考えられる。

金沢そのものは、

北条氏の鎌倉幕府のころに「金沢文庫」が置かれたことでもわかるように、早くから開け、文化的な色彩のつよい土地柄であった。

ちなみに『金沢八景』を紹介すると

州崎の晴嵐、瀬戸の秋月、小泉の夜雨、乙艫の帰帆、野島の夕照、内川の暮雪、称名の晩鐘

「称名」は寺の名前、つまり称名寺で撞く鐘の音のことをいったものだ。

称名寺は京浜急行「金沢八景」駅で下車、東へ徒歩10分くらい行ったところにある。

創建は13世紀の中ごろ、北条実時によって持寺堂が建てられたのが最初といわれる。

その後何度か火災に遭い、天和元年(1681)に金堂が再建され、対象十一年には国の史跡に指定されている。

すべてが転変してしまった中で、この界隈の一角だけは、比較的に昔のままの佇まいをいまに伝えているといっていい。

狭い通りを行くと、古風な町家や年老いた樹木などもわずかながら生き延びている。

通りに面した赤門を入り、百メートルばかりの参道を歩いて

仁王門を潜ると、上野忍池を小ぶりにしたような池を中心にした庭園が広がる。

池の中央には小島があり、

反橋、平橋、二つの朱塗りの橋がかかる。

内田康夫 「横浜殺人事件」 角川文庫より

このあと

八角堂の中で男が死んでいた、と事件が始まり

おなじみ浅見光彦登場ということになる。

平成17年

11月27日

称名寺

←上記にも出てくる赤門

そして

朱塗り反橋→

 

 

 

 

 

名木オオイチョウが美しい

 

こちらケヤキ

「横浜殺人事件」ではこの階段を登った山頂の堂で死体が発見されたのだが

事実は小説より奇ではなく

今日はそんな事などない、穏やかな日曜日。

金沢文庫とはトンネルでつながっていて

中世の隧道が今尚残っている。

称名寺については

本日の「着物着る」同行者は

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