浦島伝説
日本全国、浦島太郎伝承地は150ヶ所以上あるとか。
横浜にもその地有り。

竜宮伝来・浦島観世音浦島寺・慶運寺
横浜・神奈川区に江戸末期明治時代に入る頃まで、観福寿寺という寺があり、
浦島太郎が竜宮より持ち帰った観音像を本尊としていたため「浦島寺」と呼ばれていたという。
明治初年に浦島寺が焼失して以降、観音像と浦島大明神像・亀化龍女神像(乙姫像)は慶運寺に移され祀られた。
東京芝・増上寺元禄八年の記録に「浦島太郎所持之観音像」と記されているそうで、
浦島寺の観音像は、江戸時代のはじめから浦島太郎ゆかりの観音さまとされていた。
ここ神奈川宿に伝わる浦島伝説は
昔昔 浦島は
助けた亀に連れられて
龍宮城へ来てみれば
絵にもかけない美しさ
横浜伝説では、亀を助けたのではなく、太郎が亀を釣ったらしい。
浦島太郎の父が三浦半島の出身で、丹後国(京都府)に赴任し、その子供太郎が丹後の海で乙姫の化身である亀を釣り、竜宮城に連れて行ってもらう。
乙姫様の御馳走に
鯛や比目魚の舞踊
ただ珍しくおもしろく
月日のたつのも夢の中
夢のうちに竜宮城で過ごすうち、
遊にあきて気がついて
お暇乞もそこそこに
帰る途中の楽しみは
土産に貰った玉手箱
里心つき帰ると言う太郎に乙姫は玉手箱と観音像を渡す。
帰って見れば こは如何に
元居た家も村も無く
路に行きあう人々は
顔も知らない者ばかり
そりゃそうだ、時はすでに300年も経っていて、
心細さに蓋とれば
あけて悔しき玉手箱
中からぱつと白煙
たちまち太郎はお爺さん
横浜に伝わる太郎伝説では玉手箱の蓋は開けずに、東に下り、9代後の子孫に会い、両親の眠る地を知らされる。
横浜白幡で両親の墓を見つけ、太郎はお堂を建てて観音像を祀る。
その地が現在も名が残る
浦島丘
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が、しかし 最初に書いたようにこの寺は明治初期に焼け、 |
観音さま、玉手箱は慶運寺安置され現在に至る。 この寺では龍の口から流れる水を亀が受ける手水鉢などあり、
浦島伝説を今に引き継ぐ寺らしい佇まいを見せる |
横浜市神奈川区あたりには
亀住町とか
浦島町とか
七島など
いかにもいかにもの町名あり、
近くには浦島小学校
浦島丘中学校
町の掲示板にも
公園にも亀さんが
こういうわけで
今日の着物着るは亀・龍・鯛、ご丁寧に魚籠の如き手提げになった次第。
追伸
一説には太郎は途中で玉手箱を開け、
その土地を箱根というようになった・・・・これは知らなかった。