樋口一葉・面影を追って
たけくらべの世界を歩く
新吉原遊郭
(吉原神社・吉原氏子全図明治40年銅版 吉原神社蔵版)

新吉原は、四角方形の土地で周囲に「おはぐろどぶ」という掘割がめぐらされ、
出入口は、日本堤に面した大門口一つだけだった
たけくらべより
廻れば大門の見返り柳いと長けれど、
お歯ぐろ溝に燈火うつる三階の騒ぎも手にとる如く
明けくれなしの車の行来にはかり知られぬ全盛をうらなひて、
大音寺前と名は仏くさけれど、さりとは陽気の町と住みたる人の申しき
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「たけくらべ」の美しい文章とはかけ離れた 手前大きな道路が日本堤通り 上図矢印の位置
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昭和30年頃 |
平成14年 |
平成14年 |
その先に大門があった
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江戸から明治の初めまで冠木門(かぶきもん) |
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↑2002年(平成14年)大門跡 |
パトカーが止まっているところは大門を入ってすぐ右側(↑の写真)
かつての引き手茶屋「松葉屋」があったところ
現在はマンションになって一階には交番が・・・・
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松葉屋女将、福田利子さんがかかれた 「吉原はこんなところでございました」 |
大門を入ると
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←の図は「江戸吉原図聚」・三谷一馬著 この本は 北にある大門から一直線南に、 突き当たりが水道尻 大門から四方を囲んでいるのが |
↑平成14年(2002年)の仲之町 |
↑戦前の仲之町 |


引き手茶屋時代から仲之町にあり後に料亭を経営していた店
もう数年このような姿のまま
たけくらべより
角海老が時計の響きもそゞろ哀れの音を傳へるやうに成れば、


仲之町の通り
奥のほうに見えるのが角海老楼
角海老楼は揚屋町の先京町の一角を占め時計台がある大楼であった
明治26年(1893年) 一葉21才
生活が行き詰まり、本郷菊坂より下谷区龍泉寺町に転居
荒物駄菓子の店を開く
一葉の日記「塵の中」より
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明治26年7月16日 晴れ。 たけくらべの中でもこの通りに住む |
平成14年(2002年) |
たけくらべより
「筆屋が軒の掛提燈は苦もなくたゝき落されて釣りらんぷ危ふし。
店先の喧嘩なりませぬと女房が喚きも聞かばこそ
人数は大凡十四五人、ねじ鉢巻に大万燈ふりたてゝ当たるがまゝの乱暴狼藉」
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この道路の向い側あたりに筆やがあった |
←茶色の塀の前に →は |
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本郷菊坂での生活に行き詰まった一葉一家は
明治26年7月20日、吉原遊郭裏の下谷龍泉寺町へ移り
荒物、駄菓子屋を開いた
↑の写真右端あたり
ここは新吉原遊郭に隣接しており、
遊郭通いの客がひっきりなしに通っていた。
新しい家は二軒長屋、隣は人力車夫の待機場だった。
わずか9ヶ月という短い居住であったが
ここでの暮らしが後に「たけくらべ」「にごりえ」を生むことになる
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2000年にはあった家が平成14年(2002年)9月にはなくなっていた たけくらべの中ではこの通りを
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一葉の日記・塵の中より 此の家は下谷より たけくらべより 春は櫻の賑ひよりかけて、 |
一葉の旧宅から東に行けばすぐお歯黒溝に至る
そこは廓内揚屋町への跳ね橋があった
揚屋町を入って、仲之町の角にあるお店
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明治20年代からこの吉原で履物屋さんを営んでいた↑ |
たけくらべより
龍華寺の信如とて、千筋となずる黒髪も今いく歳のさかりにか
やがては墨染にかえぬべき袖の色、発心は腹からか
坊は親ゆずりの勉強ものあり。
歳は十五、並背にて
いが栗の頭髪(つむり)も思いなしか俗とはかわりて
藤本信如と訓にてすませど、どこやら釈といいたげの素振りなり

たけくらべの中では信如の家、龍華寺のモデルとなっている大音寺
(2002年9月)
「藤本のならば宜き智惠も貸してくれん」と十八日の暮れちかく
物いへば眼口にうるさき蚊を拂ひて
竹村しげき龍華寺の庭先から信如が部屋へのそりのそりと
「信さん居るか」と顏を出しぬ。
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ねへ美登利さん今度いっしょに写真をとらないか、
我は祭の時の姿で、お前は透綾のあら縞で意気な形をして
水道尻の加藤でうつそう
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原現勢譜吉原今昔図 この地図にはたしかに
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平成14年(2002年) |
地図にもある吉原神社
樋口一葉の「塵中日記」の中にも吉原神社の記述がある。
明治26年11月29日
「今宵、くに子と共に吉原神社の縁日みる。例之歌うたひが美音をきく」
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荒井一鬼さん製作の吉原現勢譜吉原今昔図が
ここ吉原神社にも奉納されている↑
明治27年の吉原、
大正12年、関東大震災時の吉原
昭和20年、東京大空襲時の吉原
そして、昭和33年「売春防止法」制定により300年の幕を閉じた時の吉原の全図
それら時代順に並べられた新吉原全図が1枚の紙に描かれている

吉原現勢図と、それを製作された荒井一鬼さん
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映画吉原炎上を撮影される前に 雑誌でも紹介されたそうで、 |
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2000年10月頃、頭のお宅で色々吉原の話を聞いた
その折、見せて下さった鳶火消しの衣裳、さしこの袷
右の写真上にあるのは被り物で、頭、顔、首を被う
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吉原の鳶は特殊で
吉原遊郭内の雑事すべてに渡って取り仕切ったり、処理したり
そして、幇間的な役割も果たしていたとのこと
たけくらべの中では
長吉が鳶頭の息子ということで描かれている
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横町組と自らゆるしたる亂暴の子供大將に頭の長とて歳も十六
仁和賀の金棒に親父の代理をつとめしより氣位ゑらく成りて
帶は腰の先に返事は鼻の先にていふ物と定めにくらしき風俗
「あれが頭の子でなくば」
と鳶人足が女房の蔭口に聞えぬ。
2002年9月 吉原鳶の頭、荒井一鬼さん玄関脇にて

荒井一鬼さんはお父さんの代からここ吉原で鳶頭をなさっている
お祖父さんは彰義隊で戦い、維新後は日本橋で呉服屋さんを始められた
お父さんは相当な遊び人で家を勘当され、鳶の世界に・・・
しかし、息子の一鬼さんには大学進学をすすめ
(3月10日の大空襲翌日が入試の日であったそう)
卒業後は東京都の建設局に勤務、
昭和33年赤線廃止で吉原がなくなった際
お父さんはこれで時分の時代は終わったとして一鬼さんに頭を譲った後
昭和37年に亡くなられた
この地図を一鬼さんが作られたのも
おとうさんへの供養にということでした
この1枚の紙の中に描かれた地図を見ていると
300年にわたってここで生きた人々の姿が見えてくるようで
なまじの書物を読むよりずっとおもしろく、何回繰り返してながめても飽きない
たけくらべより
三嶋神社の角をまがりてより是れぞと見ゆる大廈もなく、かたぶく軒端の十軒長屋二十軒長や
商ひはかつふつ利かぬ處とて半さしたる雨戸の外にあやしき形に紙を切りなして、
胡粉ぬりくり彩色のある田樂みるやう、裏にはりたる串のさまもをかし、
一軒ならず二軒ならず、朝日に干して夕日に仕舞ふ手當ことごとしく、
一家内これにかかりて夫れは何ぞと問ふに、
知らずや霜月酉の日例の神社に欲深樣のかつぎ給ふ是れぞ熊手の下ごしらへといふ、
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普段の大鳥神社は 木の一本あるわけでなし、人の気配もない そっけない神社 2002年10月 ところがお酉さまともなる それは、一葉のころも今も変わりは |
大鳥神社・三の酉 ↓1999年11月
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たけくらべより
正月門松とりすつるよりかゝりて、
一年うち通しの夫れは誠の商賣人、片手わざにも夏より手足を色どりて、
新年着の支度もこれをば當てぞかし、
南無や大鳥大明神、買ふ人にさへ大福をあたへ給へば
製造もとの我等萬倍の利益をと人ごとに言ふめれど、
さりとは思ひのほかなるもの、此あたりに大長者のうわさも聞かざりき、
この熊手に飾るこもごもな物を吉原近辺住民が作っていた
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この時とばかりに廓(なか)まで老若男女が繰り出し
押すな押すな状態であったらしい
「塵中日記」より
11月19日
十九日 はれ。神田にかひ出しす。
明日は二の酉なれば、店之用いそがはし。
『文学界』に出すべきものもいまだまとまらざる上に、
昨日今日は商用いとせわしく、わづらはしさたえ難し。
二の酉のにぎはひは、此近年おぼえぬ景気といへり。
熊手、かねもち、大がしらをはじめ、延喜物うる家の、大方うれ切れにならざるもなく、
十二時過る頃には、出店さへ少なく成ぬとぞ。廓内のにぎはひをしてしるべし。
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ずいぶん時期外れな着物姿で失礼します
吉原三大行事の一つに「廓内俄(ろうないにわか)」があり
その時、吉原廓内は非常に賑わった
しのぶよすがもない平成の吉原ではあるけれど9月に行ってみた
2002年お酉様は
11月1日が「一の酉」、13日が「二の酉」、25日が「三の酉」。
ああ、今年は三の酉まであるな〜と思いつつ前編をUP
吉原の帰りは(^^;)・・・・
裏門を出た検査場跡近くに
家族4代で仲良くやっている、たこ焼き、お好み焼の店がある
夏にはかき氷が・・・昔ながらのガラスの器にたっぷりと・・・

そして、↓この店でイカ天を揚げてもらうのもお決まり
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ああ、そうそう天ぷらといえば
この店この店↓

日本堤通りに面して、信じられないような建物が3軒ばかりある
昭和20年の東京大空襲時
この辺一帯は焼け尽くされ見渡す限りの焼け野原となったが
この2軒だけが奇跡的に難を逃れ、焼け跡にポツンと焼け残っていたとか
現在でもそのままの建物で営業
というわけで
このあたりの古老の間では、火難よけの縁起の良い店といわれている
縁起がよいだけでなく、ここの天ぷらは・・・す・ご・い
天ぷら屋さんの隣は桜肉屋さん
かつて、土手通りはこの桜鍋の店が軒を連ね、終夜営業し
早朝から吉原帰りの客でかなり繁盛していたらしい
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手前が桜肉屋さん |
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よく焼けなかった! |
本題に戻って後編へ
参考にしたもの
「江戸吉原図聚」・三谷一馬著
(立風書房)
「吉原今昔図」「吉原現勢譜」 荒井一鬼
「遊女の生活」 中野栄三著
「廓の生活」 中野栄三著
「日本花街志」 加藤藤吉
「吉原」 石井良助著
「遊女の歴史」 滝川政次郎著
「性風俗」V 社会編
「吉原はこんなところでございました」 福田利子著
「お江戸吉原草紙」 田中夏織著
明治の文学第17巻 「樋口一葉」